予約の取れない小料理店にだけ出る、名前のない食材

怪談・都市伝説

駅から少し離れた古い商店街の端に、いつも予約で埋まっている小さな飲食店がある。

看板は目立たず、通り過ぎてしまえば二度と見つけられないような外観をしている。けれど、食事をした人の評判だけで席は埋まり、週末はもちろん、平日の遅い時間でさえ簡単には入れない。

その店について、少し前から奇妙な噂がある。

料理が特別においしいという話ではない。もちろん、それも事実なのだろう。だが噂の中心にあるのは、通常の品書きには載っていない一皿だった。

常連だけが注文できる裏メニュー。

そして、その料理に使われている食材の正体を、誰も知らないという話である。

目立たない店と静かな店主

店は二階建ての古い建物の一階にある。木枠の引き戸は少し重く、開けると鈴が一度だけ低く鳴る。

店内にはカウンターが七席と、小さな二人掛けの席が二つ。壁には季節の短冊が貼られ、品書きには焼き物、煮物、土鍋のご飯など、特別変わった料理は並んでいない。

照明は暗すぎず、明るすぎない。湯気の向こうで器が置かれる音がよく聞こえる。客は自然と声を落とし、店全体がいつも遅い時間のように静かだったという。

店主は五十代ほどの男性で、言葉数は多くない。料理の説明も短く、客が質問をしても必要なことだけを答える。無愛想ではない。ただ、客との距離を一定に保っているような人だった。

人気の品は、炊き込みご飯と白身魚の焼き物、それから季節野菜の煮浸しだった。どれも派手ではないが、食べた人は決まって、また来たい、と書き残している。

裏メニューを知る人たち

裏メニューの存在が語られ始めたのは、ある口コミがきっかけだった。

その投稿には、品書きにない料理を出してもらった、とだけ書かれていた。写真はなかった。料理名もなかった。ただ、忘れられない味だった、次に行ったときも出してもらえるだろうか、と短く記されていた。

それから数週間後、別の客が似たような内容を書いた。

常連らしき人が、いつもの、とだけ言って出してもらっていた。小鉢のようなものだった。何の料理か尋ねたかったが、店の空気がそれを許さなかった。

こうして、店には常連だけが知る一皿があるという話が広まっていった。

ただし、誰でも注文できるものではないらしい。初めての客がそれらしい言葉を口にしても、店主は首をかしげるだけだったという。何度か通い、店主に顔を覚えられた頃、隣の常連が小さく合図をする。そこで初めて、その料理が出てくることがある。

料理名は決まっていない。

客によって、白い小鉢、あの和え物、夜のやつ、などと呼び方が違っていた。

名前のない食材

その裏メニューは、小さな黒い器で出されるという。

一見すると、薄く切った根菜か、火を通したきのこのように見える。色は淡い灰色に近く、光の当たり方によって少し青みがかって見えることもあるらしい。

匂いは強くない。だが、鼻を近づけると、雨に濡れた土蔵のような匂いがする、と書いた人がいた。別の人は、古い米びつを開けたときの匂いに似ている、と表現している。

食感についての記録は妙に一致していない。

ある人は、貝のように弾力があると書いた。別の人は、煮込んだ芋のように崩れると書いた。さらに別の人は、噛んだ瞬間は何も感じないのに、少し遅れて舌の奥にだけ残る、と書いている。

味についても同じだった。

甘い。
苦い。
出汁の味しかしない。
何の味もしないのに、なぜかもう一口食べたくなる。

ただ、どの感想にも共通している点が一つある。

食べ終えたあと、その食材の形をうまく思い出せないということだった。

口コミの変化

最初の頃、その裏メニューに関する口コミは普通だった。

珍しいものを食べた。
何かわからないがうまかった。
また頼みたい。

その程度の内容である。

ところが、時間が経つにつれて、投稿の文体が少しずつ変わっていった。

たとえば、ある客は最初、落ち着いた店で良い時間を過ごせた、と書いていた。二度目の投稿では、あの小鉢の味がまだ口に残っている、と書いた。三度目には、仕事中にふと匂いを思い出した、とだけ記していた。

別の客は、裏メニューを食べた翌日から、普段食べているものの味が薄く感じるようになった、と書いた。その数日後、同じ人は、あれは食べ物というより、場所の味だったのかもしれない、と投稿している。

中には、店とは関係のない写真にまで、その料理について触れる人がいた。

雨の日の歩道の写真に、あの匂いがする、と書く。
空の弁当箱の写真に、まだ残っている、と書く。
何も写っていない暗い台所の写真に、そろそろ行かないと、と書く。

それらの投稿は、しばらくすると削除されていることも多かった。本人が消したのか、別の理由があったのかはわからない。

店主に尋ねた人

当然、食材の正体を知ろうとした客もいた。

ある客は会計の際、あの小鉢に入っていたものは何ですか、と尋ねたという。

店主は少しだけ手を止め、いつものように曖昧に笑った。

季節のものです。

それだけだった。

別の客が、山菜ですか、きのこですか、と重ねて聞いたときも、店主は笑って、まあ、そんなようなものです、と答えたという。

仕入れ先を尋ねた人もいる。店主はそのとき、奥の暖簾を一度見てから、昔からお願いしているところです、と言った。

その言い方が不思議だった、とその客は記録している。

普通なら、昔から付き合いのある業者です、と言いそうなものだ。けれど店主は、お願いしているところ、と言った。まるで相手が人ではないようにも聞こえたという。

最後の記録

この店について、もっとも奇妙な記録は閉店後の話である。

近くに住む人が、深夜に店の前を通ったとき、裏口に小さな木箱が置かれているのを見たという。箱には送り状も店名もなく、濡れた布がかけられていた。

翌朝には消えていた。

また、短期間だけ店で手伝いをしていたという人物が、厨房の奥に小さな冷蔵庫が一台だけ別に置かれていたと話している。その冷蔵庫には鍵がかかっており、営業中に開けられることはほとんどなかった。

ただ一度だけ、店主がその冷蔵庫を開けるところを見たという。

中には容器がいくつか並んでいた。白い紙が貼られ、日付のような数字が書かれていたが、食材名はなかった。手伝いの人物は、その中の一つに、短い文字が書かれていたのを覚えている。

戻り

それが何を意味していたのかはわからない。

店は今も営業している。予約は相変わらず取りにくく、表向きの評判も変わらない。料理は丁寧で、店主は静かで、カウンターにはいつも湯気が立っている。

裏メニューについての投稿は、以前より少なくなった。

ただ、ときどき短い感想が残される。

やっと出してもらえた。

思っていた味と違った。

でも、前にも食べた気がする。

その料理に使われている食材が何なのか、はっきり書いた人はいない。

店主は今でも、聞かれると曖昧に笑うだけだという。

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